前回、甲状腺は「体のアクセル」だとお伝えしました。
今回はそのアクセルがゆるんでしまう病気と、踏み込まれたまま戻らなくなる病気——正反対に見える2つを取り上げます。
「橋本病」と「バセドウ病」。名前は聞いたことがある方も多いかもしれません。だるくて動けなくなる病気と、動悸がして痩せていく病気。症状だけを並べれば、まるで真逆です。
ところがこの2つ、根っこにあるしくみは同じなのです。
そのつながりが見えてくると、甲状腺という臓器の全体像がぐっとつかみやすくなります。少し遠回りに思えるかもしれませんが、まずは「自己免疫」という言葉からご一緒に 🌿
このシリーズは、甲状腺という臓器を「知る」ためのものです。診断や治療の代わりになるものではありません。気になる症状があるときは、どうぞ医療機関にご相談くださいね。
自己免疫——味方が味方を攻撃してしまう
私たちの体には免疫というしくみがあります。細菌やウイルスなど、外から入ってきた「敵」を見つけて攻撃し、体を守ってくれる防衛システムです。
この免疫が、なぜか自分自身の組織を「敵」と間違えて攻撃してしまうことがあります。これが自己免疫です。
そして自己免疫によって起こる病気を、自己免疫疾患と呼びます。関節リウマチ、シェーグレン症候群、1型糖尿病——名前を聞いたことのあるものも多いのではないでしょうか。
甲状腺は、この自己免疫の標的になりやすい臓器の代表格です。
なぜ女性に多いのか
前回もお伝えしましたが、自己免疫疾患は全般に女性に多いという特徴があります。
はっきりした理由はまだ解明の途中ですが、女性ホルモンが免疫の働きに影響していること、免疫に関わる遺伝子がX染色体に多く存在することなどが関わっていると考えられています。
体を守る力が強いということは、その力がうっかり内側に向いたときの影響も大きい——そんなふうに考えると、少し腑に落ちるかもしれません。
橋本病——静かに壊れていく
橋本病(はしもとびょう)は、正式には慢性甲状腺炎といいます。
1912年、日本の外科医橋本策(はしもと はかる)医師がドイツの医学誌に報告したことから、この名前がつきました。日本人の名前がついた、世界で通用する数少ない病名のひとつです。
何が起きているのか
橋本病では、免疫細胞が甲状腺の組織を少しずつ攻撃します。
急に壊れるのではありません。年単位でゆっくりと慢性の炎症が続き、甲状腺の組織が徐々に傷んでいく——だから「慢性」甲状腺炎なのです。
このとき血液中に現れるのが、次の2つの抗体です。
| 抗体の名前 | 何を攻撃しているか |
|---|---|
| 抗TPO抗体(抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体) | ホルモンを作る酵素 |
| 抗Tg抗体(抗サイログロブリン抗体) | ホルモンの材料となるたんぱく質 |
組織が傷んでいくと、やがて甲状腺ホルモンが十分に作れなくなります。これが甲状腺機能低下症です。
ここがいちばん大切なところ
橋本病=甲状腺機能低下症、ではありません。
これは、ぜひ知っておいていただきたいことです。
抗体が陽性でも、甲状腺の働き自体は正常なままの方がとても多いのです。成人女性のおよそ10人に1人は抗体を持っているとされますが、そのうち実際にホルモン補充が必要になるのは一部にとどまります。
健診で「抗体が陽性です」と言われて不安になる方は少なくありません。けれどそれは「機能が低下しやすい体質」がわかったということであって、すぐに病人になるという意味ではないのです。
大切なのは、定期的に機能を確認していくこと。それだけで、多くの場合は穏やかに付き合っていけます。
機能が低下してきたときの症状
アクセルがゆるんだ状態なので、全身のはたらきがゆっくりになります。
- だるい・疲れやすい(休んでも回復しにくい)
- 寒がりになる(人より厚着をしている)
- 体重が増える(食べる量は変わらないのに)
- むくむ(特に顔・まぶた・すね)
- 便秘がちになる
- 肌が乾燥する・髪が抜ける
- 物覚えが悪い・頭がぼんやりする
- 気分が落ち込む・意欲がわかない
- 月経量が多い
- 声がかすれる・低くなる
- 脈がゆっくりになる
こうして並べると、「年のせい」「更年期かな」で片づけられてしまいそうな症状ばかりだとわかります。第3回では、この見過ごされやすさをじっくり掘り下げます。
バセドウ病——アクセルを踏まれ続ける
バセドウ病は、1840年にドイツの医師カール・フォン・バセドウが報告したことに由来します。英語圏では、より早く報告したアイルランドの医師の名前からグレーブス病と呼ばれています。
抗体の「意外な」働き方
ここがこのシリーズでいちばん面白いところかもしれません。
バセドウ病で現れる抗体(TSH受容体抗体/TRAb)は、甲状腺を壊しません。
そのかわりに、こんなことをします。
前回、甲状腺は脳からの指令(TSH)を受け取って働くとお伝えしました。甲状腺の表面には、その指令を受け取る受信アンテナ(TSH受容体)があります。
バセドウ病の抗体は、このアンテナにくっついて、TSHのふりをして刺激し続けるのです。
ブレーキが効かない
前回お話しした「エアコンの温度センサー」を思い出してください。
ホルモンが十分になると、脳が察知してTSHを止める——それがネガティブフィードバックでした。
ところがバセドウ病では、脳がいくらTSHを止めても、抗体が勝手にアクセルを踏み続けます。脳のブレーキがまったく届かない状態です。
その結果、甲状腺ホルモンは出っぱなしに。これが甲状腺機能亢進症です。
血液検査では、TSHは限りなく低く(脳は必死に止めようとしている)、甲状腺ホルモンは高いという組み合わせになります。
亢進したときの症状
全身が常に全力疾走している状態です。
- 動悸がする・脈が速い
- 手がふるえる(細かくこきざみに)
- 汗をかきやすい・暑がりになる
- 食べているのに体重が減る
- いらいらする・落ち着かない
- 眠れない
- 疲れやすい(動きすぎて消耗するため)
- 軟便・下痢ぎみ
- 月経が減る・止まる
- 首の前が腫れる
「食べているのに痩せる」は、うらやましく聞こえるかもしれません。けれど実際には、体が自分自身を燃やして消耗している状態です。放っておくと心臓に大きな負担がかかります。
目の症状のこと
バセドウ病では、目に症状が出ることがあります。目が前に出る、まぶたが腫れる、ものが二重に見える、など。
これは目の奥の組織にも同じような自己免疫の反応が起こるためで、甲状腺の機能が落ち着いても目の症状だけが残ることもあります。
ここでひとつ、はっきりお伝えしておきたいことがあります。
喫煙は、目の症状を明らかに悪化させます。
これは数ある要因の中でも特に影響がはっきりしているものです。バセドウ病と診断された方にとって、禁煙は治療の一部と言ってもいいほど大切なことです。
2つを並べてみる
| くらべる項目 | 橋本病 | バセドウ病 |
|---|---|---|
| 抗体の働き | 組織を壊す | 受容体を刺激する |
| 甲状腺の機能 | 低下しやすい ↓ | 亢進する ↑ |
| 体のたとえ | アクセルがゆるむ | アクセルが戻らない |
| 体温 | 寒がり | 暑がり |
| 体重 | 増える | 減る |
| 脈 | ゆっくり | 速い |
| お通じ | 便秘 | 軟便・下痢 |
| 気分 | 落ち込む・鈍くなる | いらいら・落ち着かない |
| TSH | 高い ↑ | 低い ↓ |
| 甲状腺ホルモン | 低い ↓ | 高い ↑ |
| 進み方 | 年単位でゆっくり | 比較的はっきり出る |
見事に正反対です。それでもどちらも自己免疫——攻撃のしかたが違うだけ、というのがこの2つの関係です。
じつは地続きの2つ
さらに知っておくと役に立つのが、この2つはきれいに分かれているわけではないということです。
- 同じ人が両方の抗体を持っていることがあります
- バセドウ病の治療後に、機能低下へ移っていくことがあります
- 家族の中に、橋本病の人とバセドウ病の人が両方いることも珍しくありません
共通の体質的な背景があり、そのうえで「どちらの形で出るか」が分かれている——そんなイメージが実際に近いのです。
一時的に「亢進のように見える」状態
もうひとつ、混同されやすいものをお伝えしておきます。
無痛性甲状腺炎といって、壊れた甲状腺の組織から、蓄えられていたホルモンが一時的に血液へ漏れ出すことがあります。橋本病の方に起こりやすい現象です。
このとき動悸や汗など、バセドウ病とよく似た症状が出ます。けれど中身はまったく違います。
| くらべる項目 | バセドウ病 | 無痛性甲状腺炎 |
|---|---|---|
| 何が起きている | ホルモンを作りすぎている | 溜まっていたホルモンが漏れている |
| 経過 | 治療が必要 | 多くは数ヶ月で自然に回復 |
作りすぎを止める薬は、漏れている状態には効きません。それどころか、漏れが収まったあとに機能低下を招くこともあります。だから見分けが重要なのです。
医療機関では血液検査や超音波、必要に応じて核医学検査などで区別していきます。自己判断が難しい領域なので、「甲状腺の数値が高い」と言われたときは、その内訳をきちんと診てもらうことが何より大切です。
産後に起こりやすい時期がある
出産後は免疫のバランスが大きく変わる時期です。そのため産後3〜6ヶ月ごろに、甲状腺の機能が一時的に乱れることがあります(産後甲状腺炎)。
産後の疲れやすさ、気分の落ち込み、抜け毛。どれも「育児で大変だから当たり前」で説明がついてしまう症状ばかりです。
多くは自然に回復しますが、そのまま機能低下が続く方もいます。産後の不調が長引くときは、甲状腺という選択肢も思い出していただけたらと思います 🌸
治療のこと——おおまかな見取り図
治療は主治医と決めていくものなので、ここでは「どんな方向性があるか」だけをお伝えしますね。
甲状腺機能低下症(橋本病など) 不足している甲状腺ホルモンを、飲み薬で補います。足りないものを補うという考え方なので、適した量であれば体にとって自然な状態に近づきます。多くの場合、長く続けていくことになります。
甲状腺機能亢進症(バセドウ病) 大きく3つの選択肢があります。ホルモンが作られすぎるのを抑える薬、放射線を出すヨウ素で甲状腺の働きを抑えるアイソトープ治療、甲状腺を取る手術。年齢、症状の程度、妊娠の希望などによって、合うものが変わります。
どちらも、きちんと治療すれば日常生活を普通に送れる病気です。大切なのは、放置しないことと、自己判断で薬を止めないこと。この2つに尽きます。
まとめ
- 橋本病もバセドウ病も、どちらも自己免疫疾患。免疫が自分の甲状腺を攻撃してしまう
- 橋本病は組織を壊す方向。年単位でゆっくり進み、やがて機能低下を招く
- ただし抗体が陽性でも機能は正常な方が多い。「体質がわかった」と受け止め、定期的に確認していけばよい
- バセドウ病は受容体を刺激し続ける方向。脳のブレーキが届かず、機能亢進になる
- 症状は正反対でも、根っこのしくみは同じ。同じ人に両方が現れることもある
- 無痛性甲状腺炎はバセドウ病と似て見えるが中身が違い、多くは自然に回復する
- 産後3〜6ヶ月は甲状腺が乱れやすい時期。「育児疲れ」で片づけないで
- バセドウ病の目の症状には、禁煙が明確に有効
しくみがわかると、「なぜその症状が出るのか」が一本の線でつながって見えてきます。
けれど現実には——これらの症状はあまりにも日常に紛れやすく、気づかれないまま何年も過ぎてしまうことがあります。
次回は、そこを見ていきましょう 🌿
次回予告 🌿
次回は【整う、甲状腺ノート③】見過ごされやすい不調|だるさ・冷え・体重・抜け毛が「年のせい」にされるまで。
「疲れやすいのは年齢だから」「冷えは体質だから」——甲状腺の不調は、そんな言葉に埋もれてしまいがちです。更年期や貧血、うつとの見分けにくさも含めて、気づくためのてがかりをお届けします 🌸
整う、うずうずノート


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